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もうすぐ栗城史多climberの命日なので思い出した

わたくしと、かの栗城史多climberとの関係を正確に述べるとするならば、まあ赤の他人ということになるだろう。しかし、自分も山に登るからわかるのだが、登山という行為は単にレジャーやスポーツという枠のみでとらえられるものではなく、自分と向き合う、ある意味、精神的な自分の内部への旅という側面を持った行為でもあるのだ。山そのものが霊場として数々の宗教的なスポットとされてきた歴史もそのことと無関係ではあるまい。空を飛ぶ技術がまだなかった時代、山頂からの景観は人に人ならざる者の視点、平たく言えば神仏の視点を疑似体験させるものだったのではないか。「空を飛べないから、人は山に登るのだ」とは、さる著名な登山家にして歴史民俗学とは何の関係もないわたくしの言葉だ。

それはさておき、なぜか気になってしまう存在なのだ、この栗城史多という登山家は。人によっては「プロ下山家」と皮肉まじりに呼ばれることもある栗城climberだが、エベレストなどの世界の高峰に幾度となく挑戦を果たした彼の行動は登山をするものであれば誰もが憧れるし、称賛もされるだろう。その反面、ネット上の彼への評価はどこか嘲笑的な、ストレートではない、色物としての扱いも散見される。

今年も彼、栗城史多climberの「挑戦」が「永遠」に変わった5月21日が近づいてきた。彼とは直接の面識も何もないが、彼を回想することで彼へのはなむけとしたい。今回はネット上で彼について書かれた文章をいくつか並べて比較してみようと思う。それによって彼を知らない人が彼を知るきっかけとなればよいし、少しでも長く、栗城史多climberという人間がこの世に存在したことの記憶がつながっていくことを願うばかりである。

Wikipediaから引用

栗城 史多(くりき のぶかず、1982年6月9日 - 2018年5月21日)は、日本登山家[2]起業家。株式会社たお代表取締役(個人事務所)。北海道瀬棚郡今金町出身[3]北海道檜山北高等学校[4]札幌国際大学人文社会学部社会学科卒業[5]よしもとクリエイティブ・エージェンシーと2011年9月から業務提携[6][7]

「冒険の共有」をテーマに全国で講演活動を行いながら、年に1、2回ヒマラヤ地域で「単独無酸素」を標榜して高所登山を行っていた[注 1]エベレストには、頂上からのインターネット生中継[注 2]を掲げ、2009年にチベット側、2010年と2011年にネパール側から挑んだが、8,000mに達することが出来ず敗退[注 3]。2012年に西稜ルートから4度目の挑戦をするも強風により敗退。この時に受傷した凍傷により、のちに右手親指以外の指9本を第二関節まで切断。2015年の5度目、2016年6度目、2017年7度目のエベレスト登山も敗退した。2018年5月に8度目となるエベレスト登山を敢行したが、途中で体調を崩して登頂を断念し、8連敗を喫した直後の同月21日にキャンプ3から下山中に滑落死した[8][9]。35歳没。

『デス・ゾーン』河野啓 から引用

河野:まず挑戦そのものが新しいと思いました。登山とテレビというのは相容れないものだと考えていました。自分が行って撮って来られないですし。それが栗城さんは「僕が撮ってきますよ」と映像まで提供してくれて、しかもその映像には「苦しい」とか「畜生」と言いながら、涙を流している。これまでの登山家のイメージとはまったく違いました。非常に可愛いらしいルックスで、応援したくなる、放っておけないキャラクターでした。(中略)スポンサーが登山に詳しくないというのもあると思いますが、企画書の謳い文句を読むと“いかに自分の挑戦が凄いか”“前代未聞の挑戦なのか”というのが、とても上手に書かれているんですよ。2012年にエベレストに挑戦したときは「このコースを秋に単独で登った人はこれまでにいません。世界初です」ということを書いていたのですが、秋より難しい時期に登った人はいるんですよ。夏の方が雪崩は起きやすいので。そういうアピールの上手さがありましたね。

登山ライター 森山憲一氏のブログから引用

野球にたとえてみれば、栗城さんは大学野球レベルというのが、正しい評価なのではないかと思います。
(中略)
栗城さんがやろうとしている「エベレスト西稜~ホーンバインクーロワール無酸素単独」というのは、完全にメジャーリーグの課題です。
栗城さんが昔トライしていたノーマルルートの無酸素単独であれば、それは日本のプロ野球レベルの課題なので、ひょっとしたら成功することもあるのかもしれないと思っていました。
しかし、日本のプロ野球に成功できなかったのに、ここ数年はなぜか課題のレベルをさらに上げ、執拗にトライを重ねている。
(中略)
私は栗城さんを批判したいというよりも、とにかくわからないのです。
この無謀な挑戦を続けていく先に何があるのか。
このあまりにも非生産的な活動を続けていくモチベーションはどこにあるのか。
これが成功する見込みのない挑戦であることは、現場を知っている栗城さんなら絶対にわかるはずなのに、なぜ続けるのか。
それともそれすらもわからないのか。
あるいは、わかっていて登頂するつもりはハナからないのか。
そこに至る挑戦の過程そのものがやりたいことになっているのか。
もうこれが事業になっているからいまさらやめられないということなのか。……すべてわからない。

まとめ

山で死ぬことはある意味、山に登るものにとっては一種の憧れにも似たものがあるかもしれない。しかし、それは決して無謀な挑戦の結果であってはならないと思う。家に帰るまでが登山である、とはあまたの登山入門書で語られる言葉である。私の好きな漫画からも一言。

生きて帰る。それが山のルールだろう。

それを成しえなかったから、彼、栗城史多climberは言われちゃうんだね。

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