鶯谷はラブホテルの街だ
さて、山手線でもっとも乗降客の少ない駅はどこだか知っていますか?
そう、答は鶯谷駅です。
では、鶯谷というと何を連想するでしょうか?
私自身は鶯谷で降りたことはありませんが、山手線の車窓から眺めていつも思うのは、ホテルがいっぱいあるなあ、ということです。
そう、普通の人の鶯谷のイメージは、ずばりラブホテル街なのです。
「鶯谷」という地名の由来
ところで、ウグイスのホーホケキョは後天的な学習によるものなのだそうです。
そのため昔は飼っているウグイスにわざわざ鳴き声の綺麗なウグイスの声を聞かせて鳴き方を覚えさせたのだとか。
鶯谷という地名も、江戸の頃、わざわざ京都から鳴き声の綺麗なウグイスを運んできて放したことに由来するという説があります。
鶯谷にはなんでラブホテルがいっぱい建っているのか
さて、ここでひとつ疑問に思ったのが、
「鶯谷はなぜこんなにもラブホテルが多いのか?」
です。
それを理解するために小山田いく氏の漫画「衆楽苑」をひもといてみましょう。
キーワードは、そう「集団就職」です!
集団就職とは?
「集団就職」(Wikipediaより)
集団就職(しゅうだんしゅうしょく、英語: Group employment)とは、かつて日本で行われていた雇用の一形態であり、地方の新規中等教育機関卒者(中学・高校卒)が大都市の企業や店舗などへ集団で就職すること。(以上引用おわり)
小山田いく氏によれば上野駅は東北から集団就職のために上京してきた人達が最初に降り立つ、いわば東京の北の玄関口であり、彼らにとっては上野は郷愁を感じる場所なのだということです。
そして集団就職のために上京してきた人達のための宿泊施設が多くあったのが上野のすぐ隣にある鶯谷だったわけなのです。
そう、ラブホテルのもとになっているのは上野に上京してきた人達を対象とした簡易宿泊所群だったのです!
その後、集団就職がなくなり、鶯谷の宿泊施設はラブホテルへと姿を変えていったわけです。
歴史を感じますね。
余談ですが、漫画「 りびんぐげーむ」などの作者、星里もちる氏のデビュー作である「危険がウォーキング」にはバロン鶯谷というお笑い芸人が登場します(相方の方は車神楽坂といいます)。
こちらも楽しい漫画ですので是非ご一読を!
まとめ
鶯谷にラブホテルが多いのは、昔、東京に集団就職してくる東北の人達を泊めるための簡易宿泊所などがたくさんあって、それが時代と共にホテルに転化していったため、でした。
補足(Wikipediaより)
「集団就職」
集団就職は戦前から行われていたが、特に広く知られるのは、日本の高度経済成長期に盛んに行われた、農村から都市部への大規模な就職運動のことをさす場合が多い。
戦後期に工場生産システムが大量生産の時代に入り、製造業界では単純労働力を必要としていた[2]。
家族経営が多かった小売業や飲食業も家族以外に補助的な労働力を求めていた[3]。
賃金も農村部より都市部の方が高くて、大量の中卒者が毎年地方の農村から大都市部に移動して、三大都市圏の転入超過人口の合計が40万人から60万人であった[4]。
義務教育のみしか卒業していない(後期中等教育を受けていない)中卒者を送り出す側の事情として、特に1970年(昭和45年)頃までの地方では、所得があまり高くなく高等学校などに進学させる余裕がない世帯が多かったので、子供が都会の企業に就職することで経済的にも自立することを期待して、都市部の企業に積極的に就職させようとする考えが、保護者にも学校側にも存在した。こうした状況の下、中学校も企業の求人を生徒に斡旋して集団就職として送り出した。
1975年(昭和50年)に最後の集団就職列車が運行され、1976年(昭和51年)には集団就職は沖縄県のみとなった。1977年(昭和52年)に労働省(当時)は集団就職を完全に廃止した。金の卵たる中卒者の集団就職の時代は終焉する。