「ちはやふる」を読んで考えたこと
コロナが世に流行って間もない頃のことでございました
もともと旅行にいくつもりで
3日間休みを取っていたのですが
緊急事態宣言を真に受けて
キャンセルしてしまったのです
なので
1日目は日帰りで箱根に行ったけど
残りは家でマンガを読んで過ごしたりしました
何を読んだかというと
「ちはやふる」です
そう、あの百人一首のマンガである
もともとネットで読んでいて
21巻まで読んで止まっていたのですが
それを今回の休みに始めから読みなおしてみたのです
そしたらやっぱりおもしろくて
続きが気になったので
そのまま一気に最後まで読んでしまいました
で
ストーリーとは別に
おもしろいなぁと思ったのは
若宮詩暢という主人公のライバルの
「かるたの札の1枚1枚が私には小さな神様に見える」
という台詞であります
この子は子供の頃からあまり友達がおらず
ひとりでかるたで遊んでいて
かるた以外には何もできない
他人とコミュニケーションをとるのも苦手な子なのですが
まさにかるたを心の支えとして生きているのでした
ここで私は
私が神とも崇める佐藤さとる氏の
「だれも知らない小さな国」
を連想したのです
「だれも知らない小さな国」について
作者の佐藤さとる氏は
子供の頃に空想して遊んでいた昔話の登場人物たちが
自分が成長する過程で
現実世界のリアリティーと整合性を得るために
小人ほどの大きさに縮んでいった
というように述べています
(かなり意訳しているが😅)
そして氏の作品において
これらの小さな神様たち
氏の言葉によれば
現実世界におけるファンタジー
(人間の心の中に育まれたもうひとつの現実)
というのは
困難な状況(それは戦争であったり幼少期の孤独であったりする)
を乗り越えるための心の支えとなりうる
ものであるということになるのです
「だれも知らない小さな国」においても
主人公が子供の頃にいちどだけ見た小人を
自分だけの神様として心の支えとして
孤独な子供時代を乗り切る
というくだりがあるのです
佐藤氏のファンタジー作品には
ファンタジー(心の中の世界)=心の支え
という構図がしばしば現れています
例をあげれば
「ネムリコの話」「小鬼が来るとき」「魔法使いの近道」
ファンタジーではないが「開かずの間」などもそうでありましょう
まあ、私にそのような心の支えになるほどの
豊かな内面世界があるのかは疑問でありますが
競技かるたに青春を懸ける少年少女の姿に触れて
今回の休みで多少は小さな心が広がったのではないかな
と思うしだいであります
ファンタジーの生まれるところ
病気にかかった身体が抗体を身に付けるように
傷ついた心は自分だけの神様を作り出すのです
この心の中のアンチボディ(antibody:抗体)こそがファンタジーの故郷なのです
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