徒花団 『軽々しく泣け』2005.4.17
2005.4.17 中野あくとれ 開演18:30
1時間55分。2000円。
今回も最前列。最前列コンプレックスなんだな。
観劇するのに最前列は必ずしも最良の席ではないのは唐組を観るまでもなく分かってはいる。でもいつも取れるとは限らないじゃない? 今日もはじめは2列目座ったんだけど前の人の後ろ頭が気になって・・・・・・。でも最前列だと段差が無いから役者からも丸見えだと思うとそれもまた気になったりして。幕は無くて、薄暗がりの中に青白いガスコンロの火。とりあえず、開演までセットの配置をスケッチして待った。今回は、本来のステージに客席を設置し、普段は楽屋として使われている空間をメインの舞台として使用していた。そのためにとても雰囲気のあるセットになっていた。ガス・水道付きだから。発想がいい。
徒花団の芝居っていつも観終ってすぐには感想書けない。
台詞に聞こえないほど自然でリアルな台詞。
それからとても丁寧な間。
それが魅力かな。
音楽が高まって、突然の静寂、明るくなると舞台にはうしろ姿の石川油嬢。
今回の石川油さんは綺麗に見えた。と書くといつもは綺麗じゃないみたいだけど今日は今まででいちばん綺麗に見えた。
遠景に、選挙と開発され変わりゆく郊外。いつも時間をはかりにくい徒花団の舞台だけど、この選挙の趨勢が見えたところで、あ、これから終わる、となんとなく分かった。『ハハが~』のときも開発と犬が出てきた。『鉢をかぶる』からは親に関する姉妹の確執を引き継いでる。あと情ない男の片思いと。
甲斐博和氏が描きたいのは、人間のどうしようもない、どうしようもなさ? なのかな。舞台に自分の感じたものを再現してみせる力は相当なものだと思う。でも起伏がないので分かりにくい舞台でもあるんだよね。どこに力を入れて観ればいいのか。観客に不親切なと言えなくもない。
今回、振られた女は全財産を巻き上げられ、自分を捨てた夫を待ちつづける、妹に暴行(未遂)された女はやはり自ら全財産をなげうって。どうしようもない男はどうしようもなさ垂れ流しで。でもあの人々はあのままあの場所で生きていくのかな、まだしばらくのあいだ。男が解き放った犬が取り壊される煙突の下敷きになったことで男の父親は落選確実となり、ストリップ小屋「鳩」は生き長らえることになる。つまり、現状維持だ。
なんかどうしようもない男の一人勝ち、みたいに見えないこともない。作者は、今のところ救いを見出せていない。いや、人間の真実の姿を直視することによって解き放たれようとしているのかもしれないけれど。ありのままに世界を見よう、としているのかもしれない。
「なんでこんなことしてるの? どうして家に帰らないの?」
男が家に帰ろうとしないのは父に愛されているという確信が持てず、兄に対してコンプレックスを抱いているから。不器用で、満たされない心。でもなぜ受け入れられないのか分かるほど聡明さが無くて。「どうしていつも俺だけ・・・・・・」とキレそうになった男の台詞からそんなことを感じた。
生きることは、様々な矛盾を衝突させずに内包してゆくこと。一人きりでは生きられないがために、爆発しそうな感情をなだめながら、自分を殺しながら。東京には、何でもあって、だけど何も無い。夢や理想を持って来たけれど、現実は気のふさぐことばかりで。登場人物の言動も重層する。牛乳を流しに捨てるのをもったいないと怒った女が、実は飲めもしない牛乳をコップに注いだのであり、重箱の中身をナマごみにしている。目に見える部分だけで自分を不幸だと決めつけるな、と言った女が、あなたの目に見えるところを受け入れられないと男に言う。家族に還ることのできない若者達。家族を愛したい。でも愛せないというジレンマ。
あと「人造バラン」。
僕らは不幸だよね。でも居場所は君が、あなたがいるココなんだよね。ココで生きてゆくんだよね・・・・・・
そんな声が聞こえてくる舞台。
やっぱり一筋縄ではいかないな。
題名「軽々しく泣け」が謎。
甲斐氏は誰にこの言葉を放ったのだろう。
分かりにくいけど、分かりやすくなるよりはこのままでいって欲しい。
観客として、体調が万全じゃないと、ちょっとつらい舞台かも。
注目している。
次回も観にいきたい。
解説
それまで野田秀樹や劇団☆新感線など割と大がかりなお芝居を好んで観ていた自分にとって、この徒花団の芝居というのはある意味で革新的だった
一言で言えば、芝居らしくない芝居、なのだが、どこかにも書いたけど、自分が透明人間になってその場に居合わせたかと思えるような芝居なのだ
予定調和をことごとく廃した芝居、とも言えるかもしれないとにかく、彼らが再び舞台を上演するような機会がもしあるとしたら、私はそれを絶対に観たいと思っているのだ